▼ 昭和20年頃の河北潟
河北潟の埋立、干拓の歴史は古く延宝元年(西暦1673年)の加賀五代藩主前田綱紀による約3haの新田開発に始まり、以降数次にわたる小規模埋立が行われた後、嘉永2年(西暦1849)にいたり、かの銭屋五兵衛によって230haの埋立によるる巨大な新田開発が開始され、工事が難航する中で嘉永5年、歴史上著名な銭屋五兵衛埋立工事疑獄事件として挫折し、銭屋一族が破滅している。